記憶はなぜ美化されるのか

「昔はよかった」と感じるのはなぜか。心理学研究は、記憶が想起のたびに編集され、過去が実際よりも美しく思い出されることを明らかにした。

記憶はなぜ美化されるのか
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「昔はよかった」という普遍的な感覚

過去を振り返るとき、私たちはしばしば懐かしさに包まれる。学生時代、前の職場、子どもが小さかった頃。当時は確かに苦しんだり悩んだりしたはずなのに、時間が経つと「あの頃はよかった」と感じる。

過去を美化して語ることは、単なる懐古趣味なのだろうか。それとも、私たちの脳に組み込まれた何らかのメカニズムが働いているのだろうか。

記憶研究の知見は、後者を示唆している。過去の記憶が美しく感じられるのは、脳が能動的に記憶を編集し、ポジティブな要素を強調し、ネガティブな要素を薄めているからである。記憶がなぜ、どのように美化されるのかを見ていこう。

過去は実際よりも美しく思い出される

記憶の美化は、科学的に実証された現象である。心理学者テレンス・ミッチェル(Terence Mitchell)らは、1997年の研究で、人々が過去の出来事を実際の体験よりも肯定的に思い出すことを明らかにした。

研究チームは、ヨーロッパ旅行、感謝祭の休暇、3週間の自転車旅行に参加した人々を対象に、出来事の前・最中・後で評価を記録した。参加者は体験の最中、リアルタイムでその時の満足度を評価する。そして、出来事が終わった後、改めてその体験を振り返って評価する。

結果は明確だった。人々は、体験の最中よりも後から思い出したときの方が、その出来事を肯定的に評価した。評価の差は9段階のスケールで平均0.5〜1ポイント、統計的に有意な差である。

興味深いのは、体験の最中には気が散ったり、失望したり、自己評価が下がったりといったネガティブな思考が多く記録されていたことだ。しかし、これらのネガティブな要素は、時間が経つと記憶から薄れていった。残るのは、よりポジティブな印象だ。

この現象は「バラ色の回顧(Rosy Retrospection)」と呼ばれる。過去を実際よりも「バラ色」なものとして思い出す傾向を指す言葉だ。私たちが「あの頃はよかった」と感じるとき、それは単なる感傷ではなく、脳による編集作業の結果だといえる。

過去は想起のたびに書き換わる

では、なぜ記憶は美化されるのか。その背景には、記憶そのものの性質がある。

私たちは直感的に、記憶を写真やビデオカメラの録画のように、過去の出来事を忠実に再生するものだと考えがちだ。しかし、研究が明らかにしたのは、記憶が想起のたびに再構築される動的なプロセスだという事実である。

認知心理学者エリザベス・ロフタス(Elizabeth Loftus)らの一連の研究は、記憶が驚くほど可塑的であることを実証してきた。人は過去の出来事を思い出すとき、当時の情報だけでなく、現在の知識、感情、そして周囲からの情報を無意識に混ぜ込んでしまう。この再構築の過程で、記憶は少しずつ変容していく。

重要なのは、この変容が無作為ではないという点だ。記憶研究では、人は過去の出来事を想起する際、現在の自己概念と一貫性を保つ方向へ記憶を無意識に調整することが示されている。心理学者アン・ウィルソン(Anne E. Wilson)とマイケル・ロス(Michael Ross)の研究によれば、個人の現在の自己観、信念、目標が、過去の自己に対する回想や評価に影響を与える。

もし現在の自分が過去の出来事をポジティブに捉えたいと無意識に望んでいれば、想起のたびに記憶はその方向へと微調整されていく。「バラ色の回顧」は、この再構築プロセスの結果として現れる。

脳は自動的にネガティブを忘れる

記憶の美化には、もう一つの要因がある。記憶に伴うネガティブな感情は、ポジティブな感情よりも速く薄れていくのだ。心理学では、これを「フェイディング・アフェクト・バイアス(Fading Affect Bias)」と呼ぶ。

この現象を実証したのは、心理学者W・リチャード・ウォーカー(W. Richard Walker)らによる1997年の研究である。被験者に過去の出来事とその時の感情を記録させ、数カ月後、1年後、4年半後に再評価させたところ、時間の経過とともに感情の強度は減衰するが、その減衰の程度はネガティブな出来事の方が大きいことが示された。その後、ウォーカーとジョン・スコウロンスキー(John J. Skowronski)を中心とする研究グループが数十年にわたり研究を発展させ、この現象は様々な方法、集団、文化を超えて確認され、再現性の高い現象であることが示されている

なぜ脳はこのような特性を持つのか。研究者たちは、ネガティブな感情が長く続くと新しい挑戦への意欲が損なわれる可能性があるため、感情を速やかに減衰させることで前向きに生きられるようにしているのではないかと推測している。同様に、ポジティブな記憶の感情が比較的長く保たれることは、自己肯定感の維持につながると考えられている。記憶の美化は、精神的な健康を保つための仕組みの一つである可能性がある。

フェイディング・アフェクト・バイアスは、バラ色の回顧を支えるものの一つと考えられる。ネガティブな要素の感情が速く薄れることで、出来事全体の印象が肯定的な方向へと傾いていく。記憶の再構築と感情の減衰といったメカニズムが、過去を実際よりも美しく思い出させる一因となっていると考えられる。

美化された記憶と生きること

バラ色の回顧、記憶の再構築、感情の減衰。これらの現象が示すのは、記憶が固定されたものではなく、時間とともに変化していくということだ。過去は、想起のたびに編集され、実際よりも肯定的な印象へと傾いていく。ただし、すべての人がすべての記憶を美化するわけではない。性格や精神状態によって、記憶の変化の仕方は異なる。

記憶が完全に正確で、過去の苦痛や失敗の感情がいつまでも鮮明なままであれば、それは精神的な負担となるだろう。一方で、過去を過度に美化すると、現在の状況を正確に評価しにくくなることもある。

写真や日記といった外部の記録は、記憶を思い出すきっかけとなる。ただし、記録を見て記憶を想起する際にも、再構築のプロセスは働いている。

「あの頃はよかった」と感じるとき、そこには脳による編集作業が含まれている。過去を少し美しく思い出すことは、記憶が持つ性質の一つである。


English version is available on Medium: Why we beautify memories? | Ki to Oku Annex