地名が記憶しているもの

地名には、その土地の地形、災害、産業の記憶が刻まれている。開発によって上書きされゆく記憶と、物理空間に残留する痕跡のあいだで、私たちは何を読み取れるのか。

地名が記憶しているもの

記号としての住所、履歴としての地名

スマートフォンの地図アプリを開き、検索窓に住所を打ち込む。「〇〇区〇〇町1-1」。予測変換をタップすれば、画面上にピンが立ち、目的地までのルートが表示される。

私たちは普段、この文字列を単なる「場所を特定するための記号」として扱っている。それは現代に限った話ではない。手紙を出すときも、行政手続きをするときも、住所は常に目的地や居住地を事務的に指し示すための符号(コード)に過ぎなかった。しかし、その無機質な符号として扱われている地名には、実は土地の来歴が静かに刻まれている。

地名に刻まれた「土地の素性」

古くから残る地名の多くは、その土地の生い立ちを伝える記録となっている。そこには、地形の特徴や、かつて起きた災害、そして人々の営みが刻み込まれている。

よく知られているのは、「さんずい」のつく漢字が含まれる地名だ。「池」「沼」「沢」「津」「浜」といった文字は、その場所が水辺や湿地帯であること、あるいはかつてそうであったことを示唆する。「谷」や「窪」は低地を意味し、雨水が集まりやすい場所であることを伝えている。また、「梅」という文字が、実は低地を土砂で「埋め」たことに由来するという説も、地名学の分野ではしばしば語られる。

もちろん、文字がそのまま土地の性質を表しているとは限らない。地形が変わっている場合もあれば、単なる当て字である場合もある。しかし、数百年、あるいはそれ以上の時間をかけて定着してきた呼び名には、統計的な確率としての「土地の特性」が含まれていることが多い。

また、地形だけでなく、過去の「災害」の記憶が地名に残されていることもある。例えば、水害や土砂災害が起きた場所には「蛇」や「崩」といった文字が使われることがある。激しく蛇行し、たびたび氾濫する川の様子や、土石流を意味する「蛇」、山肌が崩落する危険性を示す「崩」。先人たちはこうした文字を地名として残し、後世への警告としたのだ。

一見、動植物を表すのどかな文字にも、別の意味が隠されている可能性がある。地名研究の分野では、「萩(はぎ)」が山肌の「剥離」を、「猿(さる)」が土砂の「流去」を、「柿(かき)」が地面の「欠損」を表すという解釈も存在する。ただし、こうした語源解釈には異論もあり、単純に動植物名であるケースも多い。いずれにせよ、美しい自然の風景を描写しているように見える地名であっても、その背後に災害の記憶が刻まれている可能性を意識することは、土地を理解する上で重要な視点となる。

人の営みが残す名前

地名が記録しているのはこうした地形や災害だけではない。「市場」「鍛冶」「紺屋(こうや)」といった名前には、かつてそこで盛んだった産業の記憶が残されている。「宿」や「伝馬(てんま)」は交通のシステムの一部であったことを、「蔵」や「河岸(かし)」は物流の拠点であったことを伝える場合がある。地名は、先人たちがその土地の自然とどう折り合いをつけ、そこでどのような社会的な営みを続けてきたかという、生存のログでもある。

きれいな名前への書き換え

こうした土地の記憶を宿す古い地名は、地図から姿を消していくこともある。その背景には何があるのか。

大きな転換点となったのは、1962年(昭和37年)の「住居表示に関する法律」の施行だ。戦後の高度経済成長期、都市部への人口集中に伴い、入り組んだ町界や複雑な地番は郵便物の正確な配達や緊急車両の到着を妨げると見なされた。行政の効率化と都市の近代化を目的に、由緒ある字名は整理統合され、今の私たちが見慣れた「〇〇町〇丁目」という合理的な表記へと書き換えられた。

この法律は、原則として歴史的・伝統的な地名の継承を求めている。しかし同時に、区域の再編成などで新たな町名が必要となる場合には、「できるだけ読みやすく、かつ、簡明なもの」という基準のもと、従来とは異なる地名を付けることも認めている。この条項が、新しい地名が生まれる契機の一つとなった。

その後も、都市の開発が進むにつれ、「希望ヶ丘」「みどり野」「光町」といった、明るく清潔感のある地名が増えた。これらは耳に心地よく、その土地に新しいイメージを付与する。そうしたほうが、不動産の価値が高まるからだ。これらの名前には住民の「新しい生活」への願いが込められていると同時に、土地が持つ記憶をリセットしてしまう側面がある。かつて水害に悩まされた土地や、歴史的に複雑な背景を持つ場所が、新しい地名に上書きされることで、土地が本来持っていた固有性は失われ、無機質でクリーンなラベルへと置き換えられていく。

社会は、リスクや歴史を詳細に記憶し続けることよりも、それらを忘却して快適に暮らすことを選択してきたとも言える。それは安全保障の放棄というよりも、近代都市が機能するために必要とした「情報の圧縮」だったのかもしれない。

上書きと残留のあいだで

しかし、地図上の表記が変わっても、物理空間にはかつての記憶が残留していることがある。公的な住所(住居表示)の更新には法的・行政的な手続きで済むが、物理的なインフラの名称を変更するにはコストがかかるからだ。

例えば、バス停の名前。交差点の信号機に取り付けられた標識。古い橋の銘板。電柱に貼られた管理用プレート。あるいは、町内会の掲示板や古い商店の屋号。これらを注意深く観察すると、現在の地図からは消滅したはずの旧地名が、ひっそりと生き続けているのを発見できることがある。

地名が変わることは、都市の新陳代謝の一部であり、それ自体に良し悪しはない。ただ、公的な地図上の表記が更新されても、物理空間には古い呼び名が残留し続けることがある。それは、単に更新コストの問題で取り残されただけかもしれない。しかし結果として、それらは上書きされた層の存在を示す痕跡となっている。

私たちが日常的に使う住所は、配送や行政のための記号である。一方で、その記号の下には、土地が蓄積してきた履歴が層として存在している。社会システムとしての「記録」と、物理空間に刻まれた「記憶」は、それぞれ異なる時間軸で機能している。その二重性を知る手段は、今もなお、街のあちこちに残されている。

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