記憶のスイッチは「渋み」にある:芝浦工大が解明したフラバノールの脳内メカニズム
チョコレートや赤ワインの「渋み」が記憶力を高める──。芝浦工業大学の研究は、成分の摂取だけでなく、口内で感じる感覚刺激そのものが脳を活性化させる可能性を示した。
舌で感じる「刺激」が脳を活性化させる
記憶力向上に効果があるとされる食品成分については、これまで多くの研究が行われてきた。特にカカオやブドウに含まれるポリフェノールの一種「フラバノール」は、記憶や学習機能に良い影響を与えることが知られている。しかし、その作用機序、つまり具体的にどのような経路で脳に作用しているのかについては不明な点が多かった。
2025年10月31日、芝浦工業大学(越阪部奈緒美教授ら)の研究グループが発表した研究結果は、そのメカニズムに新たな知見をもたらした。研究グループは、成分が消化吸収された後の作用だけでなく、摂取時に口内で感じる「渋み」という感覚刺激そのものが、脳を活性化させる要因の一つである可能性を明らかにした。
成分だけでなく「感覚」が鍵だった
これまでの研究でも、フラバノールの摂取が記憶形成に関わるタンパク質「脳由来神経栄養因子(BDNF)」を増やし、認知機能を改善させることは確認されていた。そのメカニズムについては、成分が消化吸収を経て脳に到達し、神経細胞に直接作用するという説が有力だった。
一方、今回の研究で示されたのは、より即時的な生体反応のプロセスである。研究によれば、口の中で感じる「渋み」の刺激が、味覚神経を含む求心性神経を通じて脳へと伝達され、交感神経活動を亢進(活性化)させる。
実際、本研究の実験では、マウスに学習課題を行わせる「前」に成分を摂取させた場合のみ記憶力の向上が見られ、学習の「後」に摂取させた場合には効果が確認されなかった。これは、成分が後から記憶を定着させるのではなく、摂取した瞬間の刺激が脳を「記憶モード」へと切り替えている可能性を示唆している。
この神経活動の高まりが、結果として脳内の血流量を増加させ、海馬でのBDNF(脳由来神経栄養因子)の増加や、短期記憶の向上に寄与していることが示唆された。つまり、成分を単に摂取するだけでなく、「味わう」ことによる感覚入力が、記憶形成のスイッチとして重要な役割を果たしていることになる。
「記と憶」の視点:記憶メカニズム解明への手がかり
この発見は、記憶と身体感覚の関係性について生物学的な示唆を含んでいる。
一般に、生物にとって「渋み」や「苦み」は、毒や未熟な果実などを識別するための警告信号として機能する。摂取時に交感神経が活性化するのは、本来、生体が危険に対して警戒・反応するための防御本能に由来するものだ。
今回の研究結果をこの視点から捉え直すと、ひとつの興味深い仮説が浮かび上がる。それは、生存のために備わった「苦味による覚醒」というシステムが、危険を避けるだけでなく、その体験を深く刻み込むための「記憶の強化装置」として、もともと機能していたのではないか、という可能性だ。
本研究の成果は今後、高齢者の認知機能維持や、記憶力向上を目的とした機能性食品の開発などへの応用が期待される。成分の含有量だけでなく、摂取時の「刺激」や「味わい」を考慮することが、脳機能を効果的にサポートする上で重要になるかもしれない。