記憶の実体は「構造」だった:金沢大、記憶を司るタンパク質のナノ動態を解明、40年の謎に決着
記憶を司るタンパク質の構造を金沢大学の研究グループが解明。12個のサブユニットが特定の並び方をすることで記憶が刻まれる仕組みが、40年越しに明らかになった。
12個のリング構造が記憶を刻む仕組み
私たちが何かを記憶するとき、脳の神経細胞同士の接続部分であるシナプスでは、さまざまなタンパク質が働いている。その中でも中心的な役割を果たすのが、カルシウム/カルモジュリン依存性キナーゼII、通称CaMKIIである。このタンパク質が欠損したマウスは場所の記憶に障害が生じることが知られており、記憶との直接的な関係が実証されている。
CaMKIIは12個のサブユニットがリング状に集まって働く。神経細胞内にはα型とβ型という2種類のCaMKIIが存在し、脳の部位や発達段階によってその比率が変わる。前脳ではα型とβ型が3対1の割合で存在するが、小脳では逆に1対4となる。
ここで長年の謎があった。このリング構造の中で、α型とβ型は別々のリングを作るのか、それとも一つのリングの中に混在するのか。そして混在するとすれば、どのように配置されているのか。この問いは約40年にわたって議論されてきたが、決定的な証拠は得られていなかった。
リアルタイム観察が明かした配置の秘密
金沢大学自然科学研究科の松島啓介氏、ナノ生命科学研究所の柴田幹大教授らの研究グループは、自然科学研究機構生理学研究所の村越秀治准教授らと共同で、高速原子間力顕微鏡(高速AFM)を用いてCaMKIIの構造を直接観察した。
高速AFMは、柔らかい板バネの先端に付いた細い針で試料の表面をなぞり、0.3秒という高い時間分解能で分子の動きを可視化できる技術である。α型とβ型を識別するには、それぞれの運動性の違いを観察する必要があり、静止画の構造解析では不可能だった。研究グループは前脳の存在比率を模擬したCaMKIIを作成し、溶液中で動く様子をリアルタイムで観察した。
その結果、CaMKIIの12個のリング構造内にα型とβ型が混在していること、そして量的に少ないβ型は80パーセント以上の確率で隣り合って配置されることが明らかになった。さらに、この隣接したβ型同士が活性化状態で安定した複合体を形成し、最初に入ってきた信号が消えた後でも、記憶の形成に必須とされる部位を露出した構造を保ち続けることも判明した。
β型だけがF-アクチンと結合できる性質を持つため、この隣接配置によってCaMKIIはシナプス付近に局在できる。研究グループは、この構造が記憶の長期増強と呼ばれる現象の分子メカニズムを理解する鍵になる可能性があると指摘している。
ただし、今回の観察は試験管内(in vitro)の環境で行われたものだ。実際の複雑な神経ネットワークの中で、これと全く同じ現象が起きているのかを確かめることが、次なる研究のステップとなる。
「記と憶」の視点:分子配置と記憶の不思議な関係
記憶という私たちの内的な体験は、12個のタンパク質サブユニットが隣り合って並ぶかどうかという、ナノメートルスケールの物質的な配置に左右されている。覚えていることと忘れていることの境界が、分子の並び方という具体的な構造に支えられているという事実は、ある種の驚きをもたらす。
CaMKIIのα型が欠損したマウスが場所を記憶できないという実験結果は、記憶が確かに物質的基盤を持つことを示している。今回の発見は、その物質的基盤の詳細な姿を初めて可視化したものだ。分子が特定の配置をとることで、シナプスの結合が強化され、それが私たちの記憶として保持される。
しかし同時に、この発見は新たな問いも生む。タンパク質の配置という物質的現象が、なぜ「あの日の夕焼け」や「初めて自転車に乗れた瞬間」といった主観的な記憶体験として立ち現れるのか。分子構造の解明は記憶の仕組みの一端を明らかにしたが、記憶とは何かという根源的な問いは、さらなる探求を待っている。
本研究成果は2025年12月24日、英国科学雑誌『Nature Communications』オンライン版に掲載された。